事前検査

昨日はRI検査、明後日は食道心エコー検査、そして翌日に埋め込みの予定。昨日のRI 検査(心筋テトロフォスミン)は薬で負荷かけて心臓がどのくらい酸素を必要としているか、を調べたそうだ。検査後担当医が言うに「思ってた以上にダメージが広かったが電極を予定してる場所は元気そうだ」との事。埋め込んだら以前より動けるのでしょうか?と聞くと「良くなると言うよりは現状を維持するように」との事。それでもこれ以上酷くなるよりは良しと思う。
明後日の検査は食道に入れたカメラからエコーで心臓をより詳しく写すのだとか。翌日の埋め込みは3~5時間かかるそう。長いのでウトウトくらいの麻酔(時折の呼び掛けに応えられるよう)にして、最後テストで薬で心停止させ除細動が作動するかのチェックもするそう。その時は眠ってもらうとの事。意識があるときでなくてホッとした。ありがたい。
その後何も問題なければ10日ほどで退院予定。
スムーズにいって欲しいと願うしかない。

別部屋に入院してるおじさん。認知症なのだろう、一日中ずーっと叫んでいる。きっと施設か精神科にでもいたが別な病状でここに入院してると思う。動けないのか誰かの名前や先生、看護士、時には「おーい」と一日中呼び続けてる。まるで谷間か井戸にでも落ちて助けを呼ぶように(疲れて仮眠時は静か)大きながなり声で。寝る以外10秒に一度は叫び続け。同室の人が気の毒だ(これは対応策必要だよ)。夜寝る時間は病棟に響くのでドアを閉められてた。 認知症と言えど喜怒哀楽もあるだろうし、いくら呼んでも誰も来ない。家族の見舞いも無いみたい。何も出来ずベッドに寝てるだけ、精神的ストレスは溜まる一方だろう。  認知症だからと相手にするものもなく、一生ああして叫び続けているのだうか? 何だか哀れに思う。そんな人は世界中にいるのだろうなぁ、老後の孤独、辛いのも忘れられてればいいのだけど。

狭窄

以前入れたステントの下流?が細くなってる、後々改善が必要なのでペースメーカーを入れる前に対処するとの事。細くなってるところがちょうど二股になっててその両方とも狭窄が起きている。その二股にステントをどう入れるか結構難しいそうで手術は二時間と言われた。 カテーテルも動脈剥離の治癒跡があることから本来やり易い太い血管のある足からでなく手首からするそう。万が一のための同意書にサインしたがその万が一が結構怖い内容。
覚悟して担当医に委ねるしかない。

夕べはスゴくぐっすり熟睡できた。やはり寝ると疲れがとれる。ありがたい、感謝だな。

薬、事前準備

少し腎臓に影響が出てると言うことだ。だからかアンカロンとフロセミドの量が少し減った。
朝の薬は
アンカロン(100) (不整脈抑制)
カルベジロール(7.5) (心臓の働きを抑える)
タケルダ  (血液サラサラ)
リクシアナ(60) (血液サラサラ)
スピロノラクトン(2.5) (利尿) 
フロセミド(40) (利尿) 
リビルディ(80×2) (中性脂肪抑制)
フェベリク(20×2) (尿酸抑制)
アスパラカリウム(300) (カリウム補充)
カルバゾクロム(30) (血管強化 止血)
トラネキサム酸(250×2) (炎症止め)

なんとも多い(入院以前より4種も増えた)がなぜ必要かの説明も受けたし仕方ない。最後二つは導尿菅使用後に現れた血尿に対して、カリウムは急速な利尿によって電解質カリウムが減った為と思われる。 朝から食後に14?粒ほどを飲むことにる。
そのおかげで危なげな不整脈もだいぶ減り、体重も6~7kg 減った。
夜の家族交えての説明は埋め込みについてでなく、昔入れたステント付近の血管が少し細くなってる事への対処についてと朝の回診で聞いた。またステントを入れると思われる。

職場の上司二人が見舞いに来てくれた、お礼と現状と今後の処置など知りうる、出来る限りの説明をした。どうやら首にはならずに済みそうだ。

隣のベッドのじい様が見舞いに来てくれた奥さんをしかりつけ、小言の嵐。聞くに耐えない。ケンカなら他でやれ、と言ってもいい? と看護士に訴えたら、部屋変えるなど対応するからもうちょっと我慢して、とのこと。ここにも老害がいた。まともに?健全に歳は重ねたいものだ。

入院

今日(21日)は孫が見舞いに来た。メンコイ。
頭なでたら不覚にも泣きそうになった。堪えて泣かなかったけど。

昨日から四人の大部屋に。
他三人は私よりご高齢のような、、がそれぞれ
切ない。夜中に排尿できず苦しんで看護士に対応
してもらい「何か切なくなってくる」とこぼす人。
何も無いのにナースコールで看護士呼び「俺、なんでここにいるのかわからない」と認知が表面に出てくる人、体温計が行方不明になり「さっきまで使ってたのに消えた、面白くないなぁ。」と声だかに周囲に疑惑を向ける人、、、加齢ってこういうのあるよね。俺もいつかそうなるのだろうか、、切ないなぁ。

担当医にどんなタイプのを埋め込む予定なのか聞いたら、まだ薬の効き目確認ができてないので確定出来ないが、CRT かCRT DかICDのどれかのように言ってたがどれにするかの判断が難しいとの事。。まぁ今後の余命等を考えるに除細動だけでなくペースメーカーもある方が普段の生活にもいいのではと思うがすべては担当医に委ねるしかあるまい。
今週中には決まるだろうと思う。
24日には本社の部長が来るとのこと。あー、退院後、どうなる

AED (忘備)

2019.7.11 (木曜) 9:30頃かな。
一人きりの仕事場から月に三度の本社への出向日。
相変わらずの過労、寝不足、息切れ動悸に耐えながら本社へ向かう。駐車場に車を入れ書類をカバンに詰め一階事務所へ。最初の書類を提出し、次の書類をカバンから出した直後、胸を鷲掴みにされグラッときた。ヤバイ立ってられなくなると思い近くの応接セットに座る。すぐそばの事務員の女性が「大丈夫ですか?」と聞いたあと気が遠くなる。以前の心筋梗塞とは感じが違うが「こりゃヤバイ、これが最後か?」と思ったがあとは意識混濁。小間切れに戻る意識。時折見える光景。何人かで床に寝かされる、チラッと見えたのは私を覗き込む大勢の社員、「危ないので患者から離れてください」の音声、心臓を押され揺れている私、担架に乗せるときのせーのの声、救急車と思われる中の機械、救急隊員の「あー、まだ🌀×△が頻発してるわ」の声、「掛かり付けの病院は?」の問とギリギリ答えてる私、揺れてる車内、担架から移し替えるせーのの掛け声、右手首から入れるよと医者の声、あー、カテーテルだなっと思ってあとは何が何やら。
処置が終わったのだろう、ICU で目が覚める、以前の心筋梗塞の時のように謎の光景や不思議な婆さんを見ることはなかった。「あぁ、戻ってこれたんだ」と思った。担当医が「緊急時の非常に手早く適切な対応が素晴らしかったんだわ、応急措置してくれた会社の人に感謝だね」と言われ、会社の人達の素早い連係プレーがあったと知る。点滴ルート3本、酸素濃度センサー、心電図、導尿管、カテーテル後の止血バンド、線や管で身動き取れない。家内と兄に会社から連絡が行っそうで目覚めたら二人が来て「大丈夫か」と。心臓マッサージ後の胸骨が痛い、心不全のあとで息苦しい。でも、助かったんだ。家内から会社の人に助けられた事や病院まで救急車に同乗してくれた人、蘇生処置をした(山内さん)のことなど教えられる。
ICU で11日から6日間、救命救急病棟で17日からで1日間、そして今日18日に普通病棟に移った。導尿管もはずされホッと一息。今日から室内のみ行動フリー、歩いてよいとのこと。生きて行けそうな気分。職場からAED のデータもきて検討し、この先 不整脈の薬の効き目を確認しながら適した除細動器を埋め込む方向で検討するそう、 一方今日の循環外科の検査で腹部左に動脈瘤見つかる。心臓のあと手術するか経過見るとのこと。

黄色のベスト

仕事や入院や趣味や、、あれやこれや(とても書けない)であっという間に時間が過ぎ、来週にはもう冬至。周囲も色々変化に富み話題は尽きない。
吐き気を覚えるほどの呆れる醜い最悪なニュースばかりでうんざりも度を越してるが、何とか生活は維持しつつステップを模索の日々。大人なフランスでは民意が活発に動いててある意味羨ましい。
ある人が、フランスの仕事時間やバカンスや権利の充実さを僻んだら、フランス人が、私達は時間と犠牲をかけてそれらを勝ち取ってきたんだ。上から与えられるだけを待ってる日本人に言われたくない、と言われたという話を読んだ。とっても頷ける。
歴史的違いもあるがすっかり飼い慣らされた家畜民族日本人。今さら目覚める事を期待する気にはなれない。黄色のベストをAmazonで見た。それを着てどこに歩けば先が開けるんだろう。