AED (忘備)

2019.7.11 (木曜) 9:30頃かな。
一人きりの仕事場から月に三度の本社への出向日。
相変わらずの過労、寝不足、息切れ動悸に耐えながら本社へ向かう。駐車場に車を入れ書類をカバンに詰め一階事務所へ。最初の書類を提出し、次の書類をカバンから出した直後、胸を鷲掴みにされグラッときた。ヤバイ立ってられなくなると思い近くの応接セットに座る。すぐそばの事務員の女性が「大丈夫ですか?」と聞いたあと気が遠くなる。以前の心筋梗塞とは感じが違うが「こりゃヤバイ、これが最後か?」と思ったがあとは意識混濁。小間切れに戻る意識。時折見える光景。何人かで床に寝かされる、チラッと見えたのは私を覗き込む大勢の社員、「危ないので患者から離れてください」の音声、心臓を押され揺れている私、担架に乗せるときのせーのの声、救急車と思われる中の機械、救急隊員の「あー、まだ🌀×△が頻発してるわ」の声、「掛かり付けの病院は?」の問とギリギリ答えてる私、揺れてる車内、担架から移し替えるせーのの掛け声、右手首から入れるよと医者の声、あー、カテーテルだなっと思ってあとは何が何やら。
処置が終わったのだろう、ICU で目が覚める、以前の心筋梗塞の時のように謎の光景や不思議な婆さんを見ることはなかった。「あぁ、戻ってこれたんだ」と思った。担当医が「緊急時の非常に手早く適切な対応が素晴らしかったんだわ、応急措置してくれた会社の人に感謝だね」と言われ、会社の人達の素早い連係プレーがあったと知る。点滴ルート3本、酸素濃度センサー、心電図、導尿管、カテーテル後の止血バンド、線や管で身動き取れない。家内と兄に会社から連絡が行っそうで目覚めたら二人が来て「大丈夫か」と。心臓マッサージ後の胸骨が痛い、心不全のあとで息苦しい。でも、助かったんだ。家内から会社の人に助けられた事や病院まで救急車に同乗してくれた人、蘇生処置をした(山内さん)のことなど教えられる。
ICU で11日から6日間、救命救急病棟で17日からで1日間、そして今日18日に普通病棟に移った。導尿管もはずされホッと一息。今日から室内のみ行動フリー、歩いてよいとのこと。生きて行けそうな気分。職場からAED のデータもきて検討し、この先 不整脈の薬の効き目を確認しながら適した除細動器を埋め込む方向で検討するそう、 一方今日の循環外科の検査で腹部左に動脈瘤見つかる。心臓のあと手術するか経過見るとのこと。