歳か

野球を聞いてて思った。昔とは大違いな大げさなアナウンスが鼻につくなぁと。

まぁ、暗いアナウンスよりは盛り上がり易いのかもしれない。

が、どうにも、ここで皆一斉に盛り上がらなければならないみたいな空気感が気持ち悪い。いつからこうなっただろう。淡々と試合の状態を告げるアナウンスが聞きたくなった。

思えば、、、この押し付けのような流れが、随分増えている気がする。押し付けと共に

ここはこうなんんだと言い含められるような、、、決めつけられるような、思考の偏りに流されるような、、騙されていくような、、、考えすぎか?

コマーシャルも大げさでうそっぽい。個人差はありますが、の一言であとは何で言いたい放題で詐欺まがいな内容。誰もがきずいてるしアナウンサーだってそうだろう。それでもそれが普通になっている。嘘は嘘であり、過大な表現はおかしいだろう。

決まった言い訳があればまかり通る公共の電波、マスコミ。謙虚さや品のない押し付けが日常になってる。

押し付け、、教育現場でも、国会中継でもそうだ。多数決の民主主義なんてもうすでに信じがたい。 今朝のミサイルアラートもだ。 あつかましくやかましく嘘くさい。

なにが伏せろだ、隠れろだ、相手を刺激しまくっておいてその反発を使って国民を脅す。みんな気が付いてるさ。 車をとめて安全な場所へだぁ?、誰も車なんかとめないよ。ずーーーと嘘ばかりいってた狼政府のいうことなんざ信じるわけないだろう。

それでも不安になる人もいるのだろう。  押し付けというより改憲や戦争に向けての

調教のように思う。 押し付けと嘘が混じった、いやな時代だ。

こんな風に思うのは疑り深い年寄りになったからか? 歳だからか?